宮崎駿とドワンゴ川上
NHKのドキュメントで、宮崎駿がドワンゴ会長をタコ殴りしたって話題。
経緯はドワンゴがCGのデモンストレーションとして見せたサンプルの動画が、気持ち悪いゾンビで、「痛みを感じない」「生命への冒涜」「何を目指しているの」
大層ご立腹なその様子は、全国に放送されて、CGの神を畏れぬ雰囲気を嫌う人には「よくぞ言った」と称えられ、ただのプレゼンに周囲に気遣う事なく怒る姿を「まさに老害」と呆れる人もあり。
特にCGの動きの「異形感」に強い不快感を示す彼に、巨神兵やタタリ神の動きは、異形その物だったじゃないかと、これ又クサす人と、イヤあれこそが痛みや哀しみを湛えた動きなのだと庇う人。
面白いのは、同じ事情を見ても全く逆の感想を抱く人同士が、その自分の気持ちの説明に持ってくるモノが、それも同じだと言う事。
「これこれこーだ。その証拠はこれだ!」
って同じモノを指差しながら、正反対の意見。
これって勇午みたいな凄腕のネゴシエーターでも、難しい案件だと思う。
逆張り好き的には(笑)、もう少し違う視点で(笑)。
宮崎氏は、件の映像を見た瞬間、自分との共通項は直ぐに感じたんだと思う。だからこそ、違いも瞬時に、しかも明確に感じた。それが痛みや生命の尊厳だったと。
これが大したこと無いレベルの動画なら、逆に「凄いね。こんな事も出きるんだ」と素直に感心したのじゃないかな。
これ迄のアニメーター人生で出会った事の無いベクトルの動画が、高いレベルだったからこその、拒否反応だったのでは。
それって「不気味の谷」にそっくりだな、と。
だから「じゃ、痛みのアルゴリズムを入れてみましょう」で、解決するかは解らない。
それが完璧に出来たときは、「説明出来ないけど嫌い」と言うかも知れない。
説明出来ないその気持ちは、旧世代の嫉妬かも知れない。
石森章太郎のジュンを酷評した、手塚治虫を思い出した。
15日に再放送か~